感じたこと


            1.青春

            2.青春(その2)
 
            3.ははーん、故障する筈だ。これはMade in Japanだ!

            4.Made in China

            5.家族で音楽               

            6.もったいない話 

            7.調のイメージ     

            8.山 峡

            9.電 池 

           10.家族で音楽(その2) 2009.9.6付け神奈川新聞    

             11.定年後音楽のプロに転進       

             12.高校生               

           13.ジョン・ウィリアムズの音楽      

           14.未来考証

           15.LED
 
            16.Google Earth             

           17.ある作曲家の死          




1.青春

 3年ほど前、テレビを観ていてとても感動したことがありました。その時に掲示板に書き込んだ内容を再掲します。

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 今日テレビを観ていて、とても感動したことがありました。

 吹奏楽の世界に、野球の甲子園と同じような全国大会があるらしいのですが、それに憧れて中学3年間の活動
実績の自信を基に、吹奏楽の強い高校に入った女子生徒の話です。ドラマとかフィクションではなく、実話です。

 その子はフルートの奏者ですが、入部後、フルート希望者が9名もいるために、7名に絞るオーディションが行わ
れることになります。必死で練習して臨むのですが、息が浅いと言う理由で不合格になってしまいます。
 合格発表は9名並ばせて、名前を呼ばれた合格者が一歩前に出るというちょっと残酷なもの。そしてその子は
残ってしまうわけです。ほほを伝わる涙。

 発表後、指導の先生は2人を残し不合格の理由を伝えて、その子にはオーボエへの転向を薦めます。不合格の
直後の大ショック状態にある筈なのに、気丈に「はいっ」と答え、翌日から今まで吹いたこともないオーボエに取り
組みます。オーボエはデリケートで非常に難しい楽器。2週間後に新1年生だけで出演する競技コンサートがある
のですが、最初の練習ではその子は楽譜を目で追うことしか出来ません。だけど、それから猛練習をして、2週間
後には立派に演奏してしまうのです。

 「オーボエに変わって良かったと思っていますか?」のインタービューに、その子はこう答えました。

 「良かったと思っています。頑張って、いつかは日本中の人にオーボエと言えば私の名前を連想してもらえるよう
  になります。」

 同じ管楽器と言っても、フルートとオーボエではリードの有無、運指、もちろん吹き方も全く違う筈。我々の扱う楽器
のマンドリンとギターほどの差があるでしょう。マンドリンからギターへの転向がこんな短期間で出来るでしょうか。
 挫折にめげず、わずか2週間で新しい楽器をマスター、そして上記の言葉。挑戦する青春の素晴らしさに本当に
感動しました。

 「私には無理」なんて言葉を吐いたら負け。歳はとっても、生涯、挑戦の気持は持ち続けたいと思います。



2.青春 (その2)         

  これも先日のテレビの話です。

  九州のある女子高校に「津軽三味線部」があり、プロのロックバンドのギタリストがこれを訪問して、取材したり、
 津軽三味線に挑戦したりする、というものでした。

  その部の部長さんは「華ちゃん」という身体の大きな女の子で、ギタリストに三味線を持たせて指導します。
  プロですから初めての楽器でも最初の内は器用に音を出すのですが、華ちゃんが基礎から曲を仕込んで行く
 と、次第に苛立ちます。津軽三味線は楽譜はなくて、全て師匠から弟子に曲そのものが伝承されていくものの
 ようで、覚えきれないギタリストはついに、
 
   「楽譜を出しなよ、楽譜は誰でも曲を再現出来る合理的なものなんだよ!」  と、言ってしまいます。

  プロが女子高校生相手に、そんなことを言わなくても・・・と思ってみていると、華ちゃん、泣き出すかと思ったら、

   「ダメです!! これが文化です!」 と一喝。

  虚を突かれたギタリストは思わず、

    「ハイ・・・」

  この瞬間、私はすっかり華ちゃんのファンになってしまいました。

  そして、この部は、青森県のある町で毎年開かれている津軽三味線の全国大会に出場することになります。
  本場の大会に、ほとんどポテンシャルの無い九州から日本海沿岸を北上する夜行列車で出発します。
  大会には毎回参加しているのですが、悲願の中高校生の部での優勝を目指して。

  演奏曲はいくつかのフレーズを共通課題とはするものの、各団体のオリジナル曲であることが要求されている
 ようで、従って自分達で作曲しなければなりません。演奏は6人ですが、6人がいかに揃っているかが重視され、
 まるで、シンクロナイズドスイミングの団体戦のようです。
  とは言え、どこもそうですが、必ず個人差があるわけで、中に1人、他の5人より劣る子がいて、その子が迫る
 出番によるストレスに落ち込んで行くのを、他の子が励ますつもりでつい厳しいことを言ってしまって余計におか
 しくなり、それを華ちゃんがとりなしたり・・・。この辺りになると、すっかり感情移入してしまいました。

  そして本番。 

  楽譜も譜面台もありませんから、どこかの分野の演奏のように(?)、楽譜で手を隠すことも出来ず、きりっと前を
 見据えて数分のオリジナル曲を弾きました。勿論初めて聴く曲ですが、斉奏しか聴いたことが無い津軽三味線に
 和音が一部ですが入っていて、新鮮でした。

  悲壮な表情で弾いていたさっきの子は、やはり1箇所、皆と違う動きになる失敗をしてしまいます。

  終わった後、泣き出すその子。慰める他の仲間・・・。

  そして審査結果の発表。

  揃いの袴まで用意して圧倒的な存在感を示した地元の多くの団体を倒して、九州から学校の制服で参加した
 華ちゃんたちが優勝してしまいます。

  テレビの前で、思わず、「わあ、やった!」 と叫んでしまいました。 

  若いっていいですね。気持ちだけでもそうありたいものです。



3.ははーん、故障する筈だ。これはMade in Japanだ!

 中国で生産された農産物や玩具等の製品の品質が問題になっています。アメリカでは「チャイナフリー」なんて
ラベルを貼って売っているものもあるとか…。経済が急激な発展を遂げている国ですから、混乱もあるのでしょうが、
日本人と同じように勤勉で優秀な人達ですから、何れは解決されるでしょう。日本だって、昭和30年(1955年)頃の
製品は「安かろう悪かろう」の代名詞であったと聞いています。車が箱根を越えられず、電気製品は故障だらけだっ
たらしいですから。

 これに関連して、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」を観た時に印象に残ったシーンがあります。
 この映画は3部作で、1作目は、マイケルJフォックス演ずる高校生マーティが、怪しげな、しかし親しみの持てる
科学者ドク・ブラウンの発明したタイムマシン(これがまた7年間しか存在しなかった米デロリアン・モーター・カンパ
ニー社のスポーツカー、デロリアンDMC-12を改造したもの)に乗って1985年から1955年にタイムスリップし、
自分の両親の恋を実らせる、と言うもの。第2作は、今度は30年後の2015年に行き、悲惨な境遇になっていた
自分の状況を見て、その原因を突き止め、1955年に移動して直すと言うもの。 第3作は、1885年が舞台で、
1955年から事故で1885年に飛ばされた1985年に生きているドクを救出しに行くと言うもの。
実に、ややこしいです。(^^;

 私はこの映画のテーマ曲が大好きで、10年程前にマンドリンオケ用に編曲し、秦野マンドリンクラブで演奏し、
横須賀マンドリン・アンサンブルさんの演奏会でも演奏してもらったことがあります。

 さて、題記のセリフは、第3作で、1885年に飛ばされたドクが、故障した部品の開発を待つために、タイムマシン
を鉱山の廃坑に保存し、それを1955年に生きているドクが掘り出して、故障部品(LSI)を見て叫んだ言葉です。
 そしてその後、この言葉に対する、1985年から来ていたマーティとのやりとりは、

    マーティ   「何言ってんだい、ドク。日本製が、(世界で)最高なんだぜ。」
    ドク      「 … とても、信じられん … 」

 御承知の通り、その後日本企業は品質改善を積み重ね、1980年代には世界一になりました。それぞれの時代に
生き、それぞれの認識が染み付いているこの2人の会話。私は、思わず笑ってしまいました。そして、こういう練られ
たシナリオを作りこむハリウッドの映画作りの凄さを思いました。

 さて。この映画から既に20年以上が過ぎました。第2作で「フューチャー」とされた2015年もあと8年です。
 映画のシーンにあったような高層ビルが東京にも立ち並んで来ています。でも、空を飛ぶ車だけは実現しそうに
ありません。

 そして、初めの話に戻って題記のセリフを今言うとすれば、

   「ははーん、故障する筈だ。これはMade in Chinaだ!」  でしょう。

 でもそのうちに、これに対するセリフは、

    「何言ってんだい、ドク。中国製が、最高なんだぜ。」
    「 … とても、信じられん … 」

 でもでもでも、もしかすると、もっと悲しく、

    「何言ってんだい、ドク。もう中国でしか作ってないんだぜ。」
    「 … 何故だ!  とても、信じられん・・・」



4.Made in China

 中国製品の品質の話の続編です。

 中国製のマンドリンを最近購入しました。Eastman(イーストマン)と言うブランドです。

 オルフェのメンバーが新たにマンドリンを購入することになったのですが、予算にフィットする国産のマンドリンは
1種しかありませんでした。東京の楽器店に相談し、そのブランドのものを発注しましたが、2ヶ月ほど経ってから
連絡があり、「同予算で1クラス上の材料を用いた楽器が購入出来る。中国製だが、国産有名ブランドの製作者が
監修している。」とのこと。「ええっ、中国製? 故障するでしょう? 何たってMade in China! 仕事で中国製品を
調達したけど、えらい目に合いましたよ。」と初めは問題にもしませんでしたが、「一度見に来てくれ」と熱心に言わ
れて、見るだけなら、と楽器店を訪問してみました。

 まず、驚いたのは、概観上の仕上げの美麗さでした。材料の張り合せ、ニスの塗り等、誠に丁寧で、一旦発注した
同一価格帯の国産品に全くひけを取りません。音は、自然で良く響き、比較した国産品にある、独特の癖のある音
が全くありません。日本人が監修しているとは言え、その品質の高さに驚いてしまいました。

 発注者に連絡を取り、勧める側に回ってしまいました。

 すぐ品質は向上するだろうとは思っていましたが、楽器の分野で、ここまでのものが出来てくるとは・・・。

 この楽器、2008年初からオルフェの合奏に登場しています。半年以上使われていますが、問題も発生せず、
好調のようです。今後も、この価格帯なら、このブランドを勧めたいと思っています。



5.家族で音楽

 音楽活動をやっていると、月に何度か練習会その他で、土日に家を空けなければなりません。

 やっている本人は楽しみだからいいのですが、一家の主や主婦を、そして父や母を拘束されてしまう家庭は大変
だと思います。主宰者としては、本当に有り難いことです。

 中には、家族でやっておられる羨ましい人達がいます。

 (1)ご夫婦
   これはわりと多いです。音楽を通じてご夫婦になられた方々や、ご主人に勧められて楽器を始めた奥さんとか。

 (2)親子
   家庭にあった楽器などをお子さんがいじっているうちに、興味をもって音楽関係に進まれたケースなどです。
   神奈川県のあるご家族は、お父さん、お母さん、娘さん、息子さんが同じ舞台で演奏します。昼食時などは、
   ご家族で丸い輪になって楽しそうに談笑しています。もう、羨ましい限り。

 (3)三世代
   これも神奈川の例ですが、祖父、娘、孫娘の組合せ。実際に同じ舞台で演奏しました。練習中、孫娘が、
   「お爺ちゃん!」と呼びかけて、爆笑が起きたりして・・・。

 (4)嫁しゅうと        
   オルフェでついに実現しました。嫁さんと義理のお母さん。最高。 
「しゅうと」を敢えて漢字で書かない、これ、配慮です。

  いいですね・・・。家庭不和なんて起こりようが無いでしょうね。



6.もったいない話       

   先日、節約と言うか、せこさ競いと言うか、お金を使わない極意を競い合うテレビ番組がありました。
  電車の乗り継ぎをどこでどうする、とか、試供品の収集とか・・・。中でも印象に残ったのが、世界中で通用
  すると言ってパックンことパトリック・ハーランさんが紹介した「No ice please」。 ファーストフード店などで
  「氷抜きで」と言って注文し、別に氷を取れば、最初に入る筈だった氷の分だけ余計に飲めると言うもの
  です。なるほど・・・でもなあ、あはは、って感じですね。

   話は変わりますが、インクジェットプリンタのインクの話です。ご存知かと思いますが、プリンタのビジネス
  モデルは本体を極端に安く売り、インクで儲けようと言うものです。だからインクは極めて高い。私が使用
  しているE社の製品の純正品インクは17cc程度しか入っていないのに1色千円強します。6色使います
  から1回取り替えると6千円以上。他製品も他社品も同様でしょう。たまったものではありません。

   そこで、登場するのが詰め替えインクです。私の使用プリンタ向けのものも作られており、50ccで千円弱
  ですから、純正品の1/3です。最初は発色とか凝固などのトラブルを心配しましたが、使用してみると全く
  問題ありませんでした。詰め替え作業は最初に「詰め替えインクキット」なるものを購入して、付属の太めの
  注射器を使用します。プリンタのインクカートリッジを外して、そのシールを破り、ここに詰め替えインクの
  チューブを接続します。一方、インクホルダのインク出口に注射器を挿入して内部の空気を抜くように操作
  すると、インクカートリッジにインクが吸い込まれます。充填した後、インクカートリッジのICメモリに記録され
  ているインク使用量の情報を付属のリセッタでリセットします。これをしないと、「インク使い切り」とプリンタが
  みなして、印刷が出来ません。6色全てを詰め替えるには30分程度必要ですが、値段1/3を思うと、全く
  苦にはなりません。詰め替えた直後はインクがかすれる事がありますが、プリンタでクリーニング処理をす
  れば復旧します。後は全く純正インクと同じです。

   ところで、パックンの話ではないですが、「インクカートリッジのICメモリに記録されているインク使用量」の件
  で疑問を持ちました。最近のプリンタは、印刷中にインクが切れてしまうなんてことはありません。上記のよう
  に、インク使用量を管理していて、インクが少なくなったらちゃんと警告してくれますし、無くなったらその旨
  表示して停止します。停止する場合、印刷しているページの途中で停止することはありません。そのページは
  ちゃんと最後まで印刷してから停止します。良く出来ています。
   しかし、です。これが出来ると言うことは、実際にインクが空になるより手前で「無くなった」と検出している筈
  です。それはどの位でしょうか。98%位? いいえ、警告前にインクが無くなったらクレームとなるので、バラ
  ツキを考慮すれば、もっと早い段階の筈です。
   これまで、それは分かりませんでしたが、上記のリセッタが入手出来たので、調べてみました。使い終わった
  インクカートリッジにインクは詰めずにリセットだけをして、再使用したのです。こうすると、インク量の表示は
  100パーセントになります。そのまま使い続けて、実際にインクがかすれた際のインク量の表示を確認しま
  した。結果は、約75%でした。つまり、「インク切れ」となったインクカートリッジには、まだ25%もインクが
  残っているのです。それを我々は捨てている(回収もされていますが)のです。6千円で買ったインクの1,500円
  分は使わずに、にです。便利さの代償です。
   昔のプリンタは、そんな便利な機能はなく、印刷途中でインクが切れてしまったりしたけれど、インクは最後
  まで使用していました。

   どう思われますか。便利になったけど資源とお金を無駄にしていないでしょうか。プリンタメーカはどこも環境
  対策に熱心なはずなのですが。

   今私は、インク切れの警告が出たら、先ずインクカートリッジのICメモリ情報をリセットします。インク残量を
  みながら使い続けて、適当な時期に詰め替えインクを充填しています。



7.調のイメージ       

  曲は、皆それぞれの調の上に書かれています。音階の関係は相似ですから、どの調でも関係がない筈です
  が、音程が違うこと、楽器の出す音色が音程によって微妙に差があることから、調にイメージが出てくる気が
  します。だいぶ主観が入りますが、私の持っているイメージは下記です。皆さんの御意見は如何でしょうか。

調 コード 記号 イメージ 備考
二短調 Dm ♭×1 お涙頂戴 古い流行歌が多用した影響?
ハ短調 Cm ♭×3 品のある悲劇
ト短調 Gm ♭×2 激情/情熱
ホ短調 Em ♯×1 泥臭さ ギターの開放弦多用のため?
イ短調 Am やや安っぽい
ハ長調 C 格調高さ
二長調 D ♯×2 軽い ギターのベース音程が高い
ト長調 G ♯×1 おおらかさ/雄大




8.山 峡

  故川崎貞利さんの作品に「山峡」と言う曲があります。比較的易しい曲である上、独特の雰囲気を持った作品
 であるので、私たちが学生の頃はマンドリンを始めた1年生が一番最初に取組むマンドリンオリジナル曲として
 良く演奏されました。

  ところで、「山峡」と言う言葉の意味ですが、「山に囲まれた狭い所」の印象ですので、つい峡谷を連想します。
  山梨で生まれ育った私は、この曲に出会うまで「山峡」と言う言葉を知りませんでした。知ってからも、笹子峠
 や御坂峠への道に見られる、両側に山が迫った風景を連想していました。甲府盆地は盆地としてはかなり大き
 いですから。しかし、甲府盆地内の地域区分の中に地方名として、狭東(きょうとう)、狭西(きょうさい)、狭南(きょう
 なん)、狭北(きょうほく)と分類するやりかたがあり、何故かなと思っていました。

  山梨は「山峡」であると知ったのは、旧国名「甲斐」の語源が山の峡(カヒ=間)、つまり山の間に由来する、と
 言う説がある(『古事記伝』)と知ったことによります。「甲斐」の成立は7世紀頃だそうです。

  「甲州」は「甲斐の国」と言う意味ですし、甲府と言う地名の所以は政治的中心地を意味する「甲斐府中」の短縮
 です。昔は平仮名では「かふふ」と書いたと高校の先生が教えてくれました。
 
  ついでに「山梨」の語源ですが、ウィキペディアに次の記載があります。

   「山梨県は、郡名が県名になった県の一つで、律令制下において中核地域であった山梨郡に由来する。
     (注 他には、八代郡、巨摩郡、都留郡がありました。今でも一部残っています)
   山梨郡の名前の由来は「旧春日居町にある山梨岡神社の裏山に梨の有名な古木があり、そのためこの地域
   はいつしか山梨と呼ばれるようになった」という付会伝説が存在しているため、果物のヤマナシに由来している
   と思われがちである。しかし残簡風土記には「山無瀬」、737年(天平9年)の駿河国正税帳には「夜萬奈之」と
   記されており、語源としては「山平らす(やまならす)」、つまり甲府盆地の高低の少ない平坦な様子を表す言葉
   が次第に「やまなし」へ転化したとみるのが妥当である。そして713年(和銅6年)に「諸国の郡郷名は好字
   (よきじ)で著せ」とする和銅官命が出されたことにより、「梨園」などの言葉に見られる一種の優雅さを感じさせ
   る「梨」という好字を当てて、「山梨」と呼ぶようになったといわれている。」

  甲府盆地の中に山が無いから「山無し」が語源のようです。「山があっても山梨県」と揶揄されていますが、語源
 が本当に「山無し」だったとは・・・。



9.電 池   

   机の上にシャープ製のディジタルクロックがあります。液晶が未だ珍しかった1980年頃に秦野市の「ダイクマ」
  と言うホームセンターで買ったものです。未だ30歳そこそこだった私の会社の机で時を知らせてくれていました。

   今回は、これに使われている電池の話です。

   実はこの時計、一度も電池を取り替えていません。買った時付属して来たシャープ製の単三マンガン電池で
  今も動いています。電池の製造月は1980年1月。数ヵ月後に使用を開始した筈ですから、今年で29年間稼動
  していることになります。私の半生です。初めはせいぜい2〜3年と思っていましたが、数年経った頃から気に
  なりだし、時々電圧を測定していました。それによると、

     1988.12.27(会社で年末大掃除の終った時に測定)   有負荷(10Ω) 1.1V
     2004.12.1            無負荷 1.32V         有負荷(10Ω) 低すぎて測定不能

   そして、今は

     2009.8.30  無負荷  0.8V     有負荷(10Ω) 低すぎて測定不能

  でした。但し「無負荷」と言っても、測定に使用したアナログテスタの入力抵抗がそう高くはないので、厳密には
  「無負荷」ではありません。今回ディジタルテスタで測定してみると、1.496Vの数字が出ました。

          

    1本の電池が29年間稼動していると言うのはあまり聞いたことがありません。何故、こんなに持つかと言うと、
   40μWという時計自体の圧倒的な低消費電力にあります。懐中電灯の約1/10,000です。リンゴに銅と亜鉛
   の板を刺しただけの「リンゴ電池」でも動くようですから。

    新しい電池はいくらでもありますが、こうなればこの電池がいつ死ぬか見極めます。

    でも、私と競争になるかも。負けたりして・・・。



  10.家族で音楽(その2) 2009.9.6付け神奈川新聞       

    オルフェを毎回応援して下さる、横浜市栄区にお住まいの下浦靖さんの御家族が、神奈川新聞(発行部数
   23万部−地方紙として首都圏で最大)の2009.9.6日号第6面「団塊ナビ」コーナーで写真付き4段抜きの
   記事として紹介されました。御夫妻、息子さん、娘さん御夫妻、孫2人の7人で音楽を楽しんでおられることの
   紹介です。下浦さんのご了解を頂き、ここに紹介いたします。下記を御覧下さい。羨ましいなあ、の一言です。
      



11.定年後、音楽のプロに転進    

    御家族で趣味として音楽を楽しんでおられる一家を御紹介しましたが、今度は定年後、一念発起して
   音楽大学に入学し、苦学の末に卒業、プロになられた方の御紹介です。山梨大学の先輩です。
    
    凄いです。ちょっと真似は出来ないけど、頑張って行きたいと思います。


    記事はこちら。




  12.高校生

    いつも演奏会のアンケートに書かれることに、「演奏者の表情が固い、暗い、楽しそうじゃない」と言う
   のがあります。演奏に必死で、とても表情まで手が回らないってこともあるし、バイオリンに比べると演奏
   する上での動きが小さいことも背景にあります。この問題はどの団体でも同じような状況です。

    でも、そうではないと思えたのは、先日山梨県の北部にある北杜(ほくと)高校ギター部の演奏を見た時
   でした。まず楽譜を全く使いません。全部暗譜して、背を伸ばし、全員が笑顔で指揮者を注視しながら、
   指揮者のタクトに身体の動きを合わせて実に楽しそうに弾くのです。楽譜も譜面台も無いその舞台は
   非常にすっきりしているし、聴いている方も思わず笑顔になってしまう、好感がもてるものでした。

    こうすればいいんだ、こうでなきゃいけないんだ、とつくづく思いました。楽譜の廃止は無理としても・・・。

    それにしても、この子たち1年生と2年生だけ、8ヶ月前はギターを弾いたこともなかった子供たちが
   これだけの演奏を・・・。若者の恐るべき可能性に驚くと共に、それを引き出す指導がいかに大事かを
   思わずにはいられません。

    歳をとると、自分の可能性を自分で決めてしまって、出来るのにやろうとしなくなったりします。
    いかんなあ・・・と思いながら帰途につきました。




  13.ジョン・ウィリアムズの音楽

    次のスコアの一部を見て下さい。

    
     これは第5回定演で演奏を予定している「地上の冒険」の冒頭です。今までン十年音楽をやって来ましたが、
    驚きました。まず、ピアノの音ですが、まるで葡萄の実のような楽譜で、左手はド、レ、ミ、ソ、右手はド、レ、ミ、
    ♯ファ、ソ、を同時に叩きます。♯ファとソは半音の差で強烈な不協和音ですが、全体的には正にこうでなけれ
    ばならないなと思われる響きになります。ギターではこれは無理ですので、やむを得ずデバイドして弾いて貰う
    ことにしましたが、結果として別のコードを同時に弾くと言う、今まで見たこともないような楽譜になりました。

     それから、2小節目の8分の3拍子ですが、1小節目と各音符の長さは同じ(Listesso)なので、2小節目は
    実は4分の1.5拍子です。こんなのも初めてです。叩いてリズムを取ってみて下さい。
     皆初めは本当に戸惑いましたが、2小節目の後半からシンコペーションでそれがそのまま進んで行くと考え
    れば弾けることに気がつきました。
     指揮も検討の結果、次のようにすることにしました。矢印1本が一拍です。赤い線の所がポイントです。 

           

     この他にも「ジョン・ウィリアムズは各楽器の一番鳴るところを使う」と言われる通りの楽譜になっています。

     大体予想がついてしまう楽譜の曲ばかりをやって来たため、これらは本当に新鮮で、音楽って何でも有りな
    んだ、捉われていてはいけないなと思えました。



  14.未来考証           

    あと1年とちょっとでテレビは地デジに変わります。既に地デジを観ていますが、画像の安定とシャープ差
   は流石です。しかし、地デジの最大の恩恵は車載テレビにあるように感じます。アナログの時は車が走ると
   画面は虹色の縞模様になって観れたものではありませんでした。最近車を乗り換え、地デジになりましたが、
   まるでDVDでも観ているようです。

    そして、また最近3Dのテレビも発売になりました。ステレオカメラで撮影した2つの画像を1つの画面に
   表示し、メガネで左右の画像を分離して観る仕掛けです。「アバター」は甲府では3D表示が未だ出来ない
   ため、観ていませんが、3D画像そのものは横浜博等で観たことがあります。槍やボールが本当に自分に
   当たるようで思わず身を反らしたことを覚えています。

    しかし究極の3Dと言えば、空中に立体画像が現れて、メガネ無しでも周囲360度どこから観ても立体に
   見えるモノだろうと思います。既に研究されているようですので、いつかは実用化されるでしょう。
    昨夜CG版の「スター・ウォーズ」が放送されていたので、観ていたらこれが出て来ました。

    しかし、奇異に思ったことがあります。その立体画像がいかにも変なのです。先ず走査線がはっきり分か
   るほど走査が粗い。それに時々電波状態によるのか画像が揺れるのですが、揺れ方がアナログテレビの
   揺れ方・・・。ワープ航法を使って宇宙を自由に飛び回る未来にアナログかい?

    他にもあります。ちょっと古いですが「エイリアン」に出て来る宇宙船「ノストロモ号」船内の照明が点灯す
   るシーンがありましたが、点き方がグローランプのいわゆる「蛍光灯」。恒星間飛行の未来なのに・・・。
    映画の作られた当時に既にインバータ蛍光灯はあって、パッと点くことは分かっていたのに。

    まだあります。「インデペンデンス・ディ」。圧倒的な武力を誇る宇宙人の軍団に襲われた地球。敗退に
   敗退を重ねますが、ヒーローが相手の宇宙船に忍び込み、相手のコンピュータにウィルスを送り込んで
   勝利すると言うストーリー。アイデアはいいのですが、持って行くのはデルかどこかのノートPC。これを
   相手のコンピュータに接続して・・・。ちょっと待ってよ。接続するには少なくともコネクタの形状とインター
   フェース、そしてアーキテクチャとOS位は合っていないと。戦争状態にある地球人と宇宙人のコンピュータ
   に互換性があるのか? 宇宙人も Windows と Intel のCPUを使用? もしかして秋葉原で買って?
    それに宇宙人、ウィルス対策はしていなかったの? ウィルスバスターでも入れておけば良かったのに。

    この映画では勝利して宇宙人の巨大な宇宙船が爆発をしている前で、大統領が「感動的な」勝利演説を
   し、皆が勝鬨を上げて喜んでいるところがラストシーンでしたが、宇宙船の爆発がこの後どんな大爆発に
   なり、放射能や有毒物質が撒き散らされるかも分からんのに、そんなことをやってる場合かい? と。

   時代考証ならぬ「未来考証」が全くなっとらん! 以上、偏屈爺さんの独り言でした。



  15.LED

    今年(2011年)3月まで家電エコポイント制度がありましたが、これを利用してダイニングキッチンにおいて
   あったテレビをデジタルテレビに買い換えました。3万円そこそこでしたが、リサイクルポイント含めて1万ポイ
   ント近く貰えました。ポイントで各地の土産物など貰っても一時で終ってしまうため、今注目のLED電球を貰う
   ことにしました。LED電球の場合は半額のポイントで貰えたので、結果として3万円のテレビを買って2万円
   相当のLED電球をゲットしたことになりました。個数は9個でした。9個の内1個は人に差し上げて、残り8個で
   部屋の灯りをLED化しました。

                           

    中心にあるのは今まで使用していた蛍光灯(100W)です。LED電球8個でも60ワット程度ですから4割程度
   の省エネです。この他、卓上スタンドもLED化しましたので、私の部屋の灯りは今は全てLEDです。

    :蛍光灯に比べてLED電球の光は目が痛くならず、優しいような気がします。

    「光を出すダイオードが出たようだ」と聞いたのは、1974年頃でしたでしょうか。当時、電子計算機のインジ
   ケータはフィラメントタイプの小形電球でした。何故か当時の業界の巨人企業名を付けたI□Mランプと呼ば
   れたランプでしたが、これが時々は切れるため、表示パネルに複数のランプを用いた場合には、ランプが正常
   かどうかを確かめるため、全部のランプを一度に点灯させる「ランプチェック」なる機能が必要でした。しかし、
   多忙な設計者はこれをとかく忘れがちで、製品が出来上がった後、品質保証部ともめたりしました。

    最初に出来たのは赤で、ちょっと遅れて黄緑色が出ました。初めてその光を見た時、白い光を色ガラス等で
   着色した訳ではない純色の鮮やかさが強烈に印象に残りました。赤と黄緑があれば、インジケータとしてはとり
   あえずこれで良かったのですが、青はなかなか出現せず、20世紀中の開発は無理だろうと言われていました。
    某大学の有名な教授は、毎年クリスマスツリーに何とか間に合わせたいと頑張っていたようです。しかし実際
   に実現したのは徳島にある化学メーカーでした。モノの開発は学問の高さより汗の量と言う一面はあります。
    二足歩行ロボットで先行していたと思われていたW大学がもたついている間に、自動車メーカーが遥かに進ん
   だ技術を開発してしまったと言う例もあります。

    ともあれ、青が開発され、続いて純緑も出来て、三原色が揃い、混ぜ合わせて白も表現出来るようになりました。
   また、紫外または青のLEDチップと蛍光材を利用して擬似的な白色を出すタイプも開発され、その後出せる光が
   どんどん強くなって、ついに照明用途に使えるようになったと言う訳です。

    やがて白熱電球、そして蛍光灯も駆逐して、表示や照明の主流になって行くでしょう。トランジスタと同様、社会
   に大変な変革をもたらすことになるでしょうから、必ずや近い将来ノーベル賞の対象になるのではないでしょうか。




     16.Google Earth                                     

    私のパソコンは、今まで化石のようなOS、Windows Meでした。記譜ソフトEncore(アンコール)がメーカー倒産
   により、Windows XP以降のバージョンアップがされなくなってしまったためでした。10年ほど何とか使って来ま
   したが、ハードもソフトも次第に互換性が乏しくなり、ついに買い換えざるを得なくなりました。記譜ソフトは別の
   製品に変更すべく検討中です。新しいOSは最新のWindows7です。流石に使い勝手が大分変わっており、戸惑
   いながら格闘しています。

    さて、話はOSに直接関係はありませんが、新しいパソコンで初めて体験出来たGoogle Earthの話です。
    久し振りに、新しい技術に感動を覚えました。

    Google で世界中の地図と航空写真を見られることは知っていましたが、Google Earthはそれを3Dで見られる
   のです。これを使えば世界中どこへでも、ヘリコプター、軽飛行機、ジェット機、そしてロケットまで操縦している
   気分で見ていくことが出来ます。何枚か御覧下さい。

    先ずは山梨の上空に舞い上がって南東方向を眺めたところです。富士山が聳え、その向こうに伊豆半島、箱根、
   湘南海岸、太平洋を望めます。もし御坂山塊が無ければ、甲府は駿河湾に繋がる平野の一部となっていて、気候
   も歴史も、そして人の気質も大きく変わっていたでしょう。



    次に昨今の大問題である福島第一原発に行って見ました。驚いたことに、事故で壊れた建屋の様子がちゃんと
   反映されています。誰が対応しているのでしょうか。



   今度は、極東ロシア沿海州の上空から日本を眺めました。

   目の下の海岸が少し引っ込んでいる所がウラジオストックです。ロシア側から見ると目の前の海(日本海)の向こうを
  ぐるりと取り巻いている島があります。日本です。こうして見ると日本海は完全に内海であり、日本は外海(太平洋)に
  出るのに邪魔な存在、あるいは津波の防波堤になってくれる有り難い存在と言ったところでしょうか。角度を変えて
  見るとは、正にこのことです。



   そして、地球を半周してフランスのモンサンミッシェルへ。シェルブールのあるコタンタン半島の西の付け根に舞い
  降りて行くと、白い砂州の中にぽつんと島影が現れ、どんどん大きくなります。そして南西の方角から見たのが、次の
  絵です。



   この島の周りをぐるりと一周することも出来るし、手前方向に引いて、モンサンミッシェルが殆ど何もない海岸にある
  ことを知ることも出来ます。

   この他、カイロ上空から三大ピラミッドに舞い降りたり、中央本線を辿って、木曾谷を名古屋まで空の散歩をしたり・・
   こんなことが誰でも無料で体験出来て。すっかりはまってしまいました。皆さんもお試し下さい。




     17.ある作曲家の死                                     

   以前に神奈川県で活動していたサークルのコミニュティ誌に平成10年9月に投稿した記事です。

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   ワールドカップが開幕した日、テレビが、そして新聞がある作曲家の死を伝えた。

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   「異国の丘」をはじめ数々のヒット歌謡を生んだ戦後の代表的な作曲家の1人、吉田正(よしだ・ただし)
   氏が、10日(平成10年6月)午前6時40分、肺炎のため、東京都大田区の病院で死去した。 
   77歳だった。葬儀・告別式の日取りは未定。自宅は東京都世田谷区代沢2の22の13。自宅で体調を
   崩し、6日から入院していた。
   茨城県日立市出身。1942年に召集され満州(中国東北部)に行くが、敗戦で捕虜になりシベリアに
   抑留された。悲惨な生活の中でみんなの励みにと書いた「異国の丘」が、復員兵によって歌われヒットした
   ことが、作曲家の道を歩む契機になった。
   48年に帰国し、ビクターに専属作曲家として迎えられる。以後、亡くなるまで、数少ない専属であり続けた。
   鶴田浩二「街のサンドイッチマン」、三浦洸一「落葉しぐれ」などの後、57年にフランク永井が歌った「有楽
   町で逢いましょう」の大ヒットで作曲家としての地歩を固めた。和田弘とマヒナ・スターズ、松尾和子、そして
   橋幸夫、吉永小百合、三田明らに多くのヒット曲を提供。子どものころから好きだったというジャズの感覚を
   生かした曲調は個性豊かで、「吉田メロディー」と讃えられた。
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   昭和32年の梅雨の日、8歳の私は家で買い替えたラジオを聞いていた。私の記憶の中で何番目かの
   古い記憶だ。外は雨。父は農作業が出来ず、畳の上で横になっている。ラジオからは都会的なイントロ
   の歌謡曲が流れ出した。これが「有楽町で逢いましょう」、私が吉田正の作品に出会った最初だった。
   東京、有楽町。隣の県に住んでいたが、子供には山の向こうの限りなく遠い都会だった。
   当時よく耳にしていた三橋美智也や春日八郎に比べて、何という洗練されたメロディとムード。もちろん、
   8歳の子供にムードや、ましてや音楽的なことが理解出来た分けではない。しかし、大人の世界への憧れ
   と共に、この曲ははっきりと印象に残った。
   そして、数年後。いわゆる青春歌謡全盛期がやってくる。
   「いつでも夢を」、「江梨子」、「美しい十代」 ・・・。佐伯孝夫作詞、吉田正作曲の大ヒット曲の数々。中学生
   の多感な時期を迎えていた私たちに、青春を予感させるに十分だった。
   当時は吉田正の他、遠藤実、中村八大、古賀政男、といった作曲家が活躍していた。
   泥臭い遠藤実、暗いイメージの古賀政男、どちらかと言えば、ポップス系の中村八大。音楽的な実力が
   誰が一番だったかと言えば、今になって思えば、 世界に通用する曲を生み出した中村八大であったろう。
   しかし私には、−多分性格が同じだったのだ−、吉田正の音楽が一番ぴったりだった。
   このメロディはこういうように完結すべきと思いながら聞くと、ちゃんとそうなっていく。フレーズとフレーズを
   つなぐフィラーの絶妙さ。一体どう創られているのかと、ピアノピースを買って構成を調べ、似たような曲を
   作ってみたり、編曲のまねをしたことがある。私が音楽を好きになり、大学の時にマンドリンクラブに入り、
   今こうして充実した音楽活動を続けていられるのも、もとはと言えば、吉田正の音楽に触れたことにあった。
   もちろん、直接教えを受けたわけではないが、私にとっては恩師の一人であると思っている。私の音楽に
   関する感性は、きっと吉田正の影響を受けているに違いない。

   吉田正の作品は約2,400。その内、 世に残るのはせいぜい数曲か、と本人がテレビで語っていた。 長く
   残って欲しい。 氏の作品と共に青春をすごした私たちの証でもあるからだ。

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   吉田正に心酔している人は他にもいます。作曲家の大沢可直さんは、吉田メロディーをモチーフにして、
   交響組曲「東京シンフォニー」と言う曲を何曲も作っています。
   私も引退するまでには、一曲でいいから書いて演奏してみたいと思っています。

   また吉田正氏は、私の勤務した会社のはるか昔の先輩であることも知りました。社内の訓練校(高校相当)
   の校歌は氏の作品ですし、現在「吉田正音楽記念館」は日立市にあります。

   2014年6月12日、間も無くブラジルワールドカップが開幕する日、何となくこの記事を思い出して、再掲
   させて頂きました。 


               To be continued

                                                       




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