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1.自己紹介
河野直文(こうのなおふみ)と言います。山梨県笛吹市石和町の出身です。
既に35歳を過ぎてしまいましたが、お蔭様で両親も健在で、実家もあります。
昭和42年4月に山梨大学工学部電子工学科へ入学しましたが、直ぐ同大の
マンドリンクラブに転属し音楽三昧の4年間。昭和46年優秀な成績(笑)で卒業
しました。同クラブ第7期生になります。当時は今と違って就職は完全な売り手市場
でしたから、そんな学生でも、会社訪問など一切せずに就職。いい時代でした。
さすがに懲りたのか、就職してからは仕事一筋。成長を始めたコンピューター
のハードの一部門の開発設計に配属され、仕事内容が性に合っていたこと、
いい上司に恵まれたこと、途中で組織ごと親会社に転属になったこと等、幸運も
重なって、あっという間に17年が過ぎました。
その間、ずっと神奈川県秦野市に在住していました。
音楽活動と言えば、美人のインストラクター目当てで3年間通った電子オルガン
位でした。全休符と二部休符の区別がつかなくなっていた1988年頃のある日、
市の広報の「仲間募集」欄に「マンドリンクラブ結成、部員募集」の記事が。
心が動いたけど、なんとなく億劫で、「様子を見てから」なんて自分に言い聞かせ、
また3年。1991年にやっと門を叩きました。卒業して20年が経っていました。
以来、友情出演等も含め、幾つかのサークルとお付き合いさせて頂きましたが、
主宰するのは今回が初めてです。頼れる仲間と、きっと成功させたいと思って
います。音楽活動は編曲と指揮、楽器の専門はマンドセロです。宜しくお願いします。
2004/6 河野
2.マンドリンとの出会い
初めて見たのは小学校5年生の頃です。私の小学校は石和町の南にある富士見
小学校。当時は隣に中学校も併設されていました。その富士見中学にマンドリン
クラブがあり、 ある時、屋外で(屋外だったと思いますが曖昧です)お姉さんが弾い
ているのを見ました。お姉さんが誰だったか覚えていませんが、もしかすると現在
石和にあるマンドリンクラブのどなたかかも知れません。
それはともかく、私が中学に進学する時に富士見中学は廃校となり、石和中学に
統合されました。石和中にはマンドリンクラブはありませんでしたから、その時は
それきりでしたが、当時は青春歌謡の最盛期で、その伴奏にしばしばマンドリンが
用いられ、楽器は知っていました。
本格的に係わるようになったのは山梨大です。入学の時、オリエンテーションでサー
クルの紹介が あり、マンクラも演奏しました。曲は「古戦場の秋」でした。これには参り
ました。演奏が終わる頃には入部を決めていました。この時、1年生は50名超も入部
しましたから、演奏に感動したのは私だけではなかったと言うことです。
その年の夏休み、甲府で酒問屋のアルバイトに行き、1ヶ月働いて2万円也を手にし、
落合製のマンドリンを買いました。この楽器、卒業後も持ち続け、保存状態は決して
良くはなかったのですが、ネックもそう傷まず、今でも弾ける状態にあります。
そして、3度目は神奈川県のマンドリンクラブです。この辺りは自己紹介の項で書きま
した。こうして学生の頃4年間、再開して19年の付き合いです。多分終生を共にする
ことになりそうです。
2009/11 河野
3.後日談
2006年10月、35年半勤めた会社生活に区切りをつけ退職し、石和に転居して
来ました。これから山梨での活動が中心になります。
山梨大学マンドリンクラブは御指導下さっていたI先生の御逝去もあってか、下火になり、
ついに廃部になってしまったとのことです。石和中には私が卒業した後にマンドリンクラブ
が創設されたとのことですが、これも今は無くなってしまっているとのことです。
2007/10 河野
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