長谷雄草紙
中納言長谷雄卿は学九流にわたり、

芸百家につうじて、世におもくせられし

人なり。或日ゆふぐれかたに内にまいらんと

せられける時、見もしらぬおとこの、まなこ

ゐかしこげにて、たゞ人ともおぼえぬ来て

云、つれづれに待て双六をうたばやと思

給に、そのかたきおそらくは君ばかりこそ

おはせめとおもひよりてまいりつるなり、と

いへば、中納言あやしうおもひながら、こゝろ

みむと思心ふかくして、いと興あること也。

いづくにてうつべきぞ、といへば、これにては

あしく待ちぬるべし。わがゐたる所へおはし

ませ、といへば、さらなりとて、ものにもの

らず、とものものもぐせず、たゞひとり

おとこにしたがひてゆくに、朱雀門の

もとにいたりぬ。
絵巻物なので、ストーリーは右から左に進みます。一旦右端に行き、
左へスクロールして見て下さい。全体的には下へ進んで下さい。
参内のため正装した長谷雄に、突然入来した男(実は朱雀門に
済む鬼)が、長谷雄の屋敷で双六の挑戦口上を述べています。
参内のため長谷雄が乗る八葉車(牛車)       殿は何をなさっているのかといぶかる男
長谷雄邸警固の武士               長谷雄の従者と、従者が騎乗する馬
この門の上へのぼり給へといふ。いか

にものぼりぬべくもおぼえねど、男の

たすけにてやすくのぼりぬ。すなはち、

はむてうととりむかへて、かけ物はなに

をかし待つべき。われまけたてまつりなば、君

の御心に、見めも、すがたも、心ばへも、たらぬ

ところなくおぼさむさまならむ女をたて

まつるべし。君まけ給なばいかに、といへば、

我は身にもちともちたらむたからを、さ

ながらたてまつるべし、といへば、しかるべし

とてうちける程に、中納言たゞかちにかちけ

れば、おとこしばしこそよのつねの人のすが

たにてありけれ。まくるにしたがひて、さいを

かき、心をくだきける程に、もとのすがたあら

はれて、おそろしげなる鬼のかたちになりに

けり。をそろしとはおもひけれども、さも

あれ、かちだにしなば、かれはねずみにてこそ

あらめ、とねむじてうちける程に、つゐに

中納言かちはてにけり。その時、またありつる男の

かたちになりて、いまは申におよばず。さり

ともとこそおもひ待つれ。からくもまけたて

まつりぬる物かな。しかじかその日わきまへ待べし、

といひて、もとのごとくおろしてけり。
男に導かれてただ一人長谷雄は進みます。生き生きとした市井の様子が描かれています。
朱雀門に到着です。基礎部分しか描かれていませんが、壮大さが偲ばれます。
朱雀門の楼上で対戦する長谷雄と男。男は鬼の姿になっています。双六と言っても、勿論今の
双六とは異なります。白と黒の碁石のようなものが並んでおり、筒のようなものを打付けています。
ピシッパシッ、って音が聞こえて来るようです。
中納言あさましとおもひながら、たのめし

日になりければ、したまたれつゝ、さりぬべき

方とりしつらひて、まちゐられたり。夜ふくる

程に、ありし男ひかるがごとくなる女ぐして

きて、わきまへにけり。中納言めもめづらかにお

ぼえて、これはやがてたまはるか、ととへば、さうにを

よばず。まけたてまつりてわきまへぬるうへは、

かへし給べきやうなし。但、こよひより百日が

すぐして、まことにはうちとけ給へ。もし百日の

うちにをかし給なば、かならずほいなかるべ

し、といへば、いかにものたまはせんまゝにこそと

て、女をばとゞめておとこをばかへしつ。夜あけ

てこれをみれば、目も心もおよばず、このよにかかる

人やはあるべき、とあやしきことかぎりなし。

やゝ日をふるまゝに、心ざまもなつかしく、いとゞ

そひまさりて、かた時もたちさるべくも

おぼえざりけり。
男が女を長谷雄のもとに連れてきました。小さく書かれた男の姿は勝負に負けた卑屈さを表現しているのだそうです。
女は十二単で長い黒髪。顔は分かりません。見る者の想像に任せているのだと思います。確かに見る者それぞれが
持つ美女のイメージを裏切らない。実に巧みな手法です。
かくて八十日ばかりになりにければ、いまは

日数もおほくつもりぬ。かならず百日とし

もさすべき事かはと、たえがたくおぼえて

したしくなりにければ、すなはち、女

水になりてながれうせにけり。中納言くひ

のやちたびかなしめども、さらにかひなか

りけり。
この物語のクライマックス。百日の約束を八十日で破ったために女は溶けて水となって流れてしまいます。
部屋から濡れ縁、そして庭へ大量の水が流れています。長谷雄の衝撃の表情・・・。見事な表現です。
遠くから遣水が流れ、せせらぎの音が聞こえるよう。蔀格子が下ろされて、場面は夜の設定です。
かくて三月ばかりありて、夜ふけて中納言

内よりいでられける道に、ありし男きあひ

て、車のまへのかたよりきて、君は信こそお

はせざりけれ。心にくうことおもひきこへし

が、とて、け色あしくなりて、たゞよりに

ちかづきければ、中納言心をいたして、北野天神

たすけ給へ、とねんじ待ちける時、そらにこゑあ

りて、びんなきやつかな。たしかにまかりの

けと、おほきにいかりてきこえける時、男かきけ

つごとにうせにけり。このおとこは朱雀門の鬼

なりけり。おんなといふは、もろもろの死人のよかり

し所どもを、とりあつめて人につくりなして、

百日すぎなば、まことの人になりて、たまし

ゐさだまりぬへかりけるを、くちをしく契

をわすれて、をかしたるゆへに、みなとけう

せにけり。いかばかりか、くやしかりけん。
三ヶ月後、内裏から八葉車で退勤途中の長谷雄のもとに鬼が現れ、約束を違えた長谷雄をなじります。
驚いた長谷雄は一心不乱に北野天神に助けを求めます。すると天から大きな声
 「不都合の奴じゃ、とっとと立ち去りおろうぞ」
これを聞いた鬼はたちまち逃げ出してしまいました。
むしろ恐怖の面持ちで逃げて行く鬼
 如何だったでしょうか。音楽物語「朱雀門」はこれをベースにして脚色され、作られました。
 随所にドラマチックな演出が加えられていますが、ストーリーの本筋は同じです。

 物語の主人公である長谷雄(紀長谷雄)は平安初期に実在した人物(845〜912)で、平安朝
きっての漢学者であったと言われています。同族に紀貫之がいます。そして、あの菅原道真
と同時代で、かつ同僚であったようです。菅原道真は左遷され大宰府で失意の内に亡くなって
いますが、紀長谷雄の方は、まあはっきり言って、うまく立ち回って天寿を全うしたようです。
 でも、今では菅原道真は多くの人が知っているし学問の神様として慕われていますが、
紀長谷雄はほとんど知られていません。

 最後に菅原道真が祭られた北野天神に助けを求めるシーンがあり、変だと思い調べた結果、
北野天神は紀長谷雄没後35年後の947年創祀であって、あり得ないことが分かりました。
 この辺りは、この草紙が後世の鎌倉時代(13世紀末)の作品と伝えられますから、多少の
混乱もあったものと思われます。でも、神様になった同僚に助けを求めるというストーリーも、
長谷雄らしくて、面白い気もします。

ともあれ、この資料で皆さんが原作の絵巻を知って頂いて、曲作りに役立てれば幸いです。


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【追】朱雀門については、次のサイトもご参考に

  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E9%9B%80%E9%96%80   朱雀門

  http://kakitutei.gozaru.jp/kyoto04fe/22-2-1.html   石碑

  http://www.ipps.ne.jp/user/hello-street/trunk/trunk-2-2.htm  ピアノと尺八

  http://www.api-inc.co.jp/RENTAL/tosca.html   吹奏楽

  http://homepage3.nifty.com/mandorolin/daijiten/manji13.htm まんどりん大辞典

  http://www.geocities.co.jp/Milano/5796/1972_034.htm  朱雀門探訪の旅




聴き耳を立てる男、従者でしょうか・・・
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